春の終わりに、きみの傘を持って帰った サンプル
さとし@システム管理
その日、駅前のコンビニの前で、私は一本の傘を拾った。ビニール傘ではなかった。紺色の布地に、持ち手だけが飴色の木でできている、少し古びた傘だった。骨の一本がわずかに曲がっていて、留め具の金具には小さな傷がいくつもついていた。誰かが長く使っていたものだと、触っただけでわかった。夕方の雨は、春の終わりにしては冷たかった。店の軒先に取り残された傘は、濡れた床にぽつんと立てかけられていて、妙に心細そうに見えた。私はその傘を手に取り、少し待った。忘れた人が戻ってくるかもしれないと思ったのだ。十分。二十分。コンビニの自動ドアが開いては閉まり、学生や会社員や買い物帰りの人が出入りしたけれど、誰も傘を探している様子はなかった。仕方なく、店員に預けようとした。「あ、それ、たぶんもう引き取りに来ないですよ」レジにいた若い店員は、申し訳なさそうに笑った。「え?」「この一週間で、忘れ物の傘すごく増えてて。みんなビニール傘と区別つかなくなって、そのままになっちゃうんです。高そうなのだけ一応バックヤードに置いてるんですけど、これは……どうしようかな」高そうではない、ということなのだろう。私は少しだけ傘に同情した。「じゃあ、もし迷惑でなければ、しばらく私が預かります。張り紙でも出しておいて、連絡先があれば返せるし」自分でも変なことを言っていると思った。店員もそう思ったらしく、目を丸くしたあと、ふっと笑った。「やさしいですね」やさしいわけじゃない。ただ、その傘を置いていくと、ひどく悪いことをする気がしただけだった。それが、傘の持ち主――正確には、傘を持っていた人――と再会するきっかけになった。*次の土曜日、私はその傘を持って、また同じコンビニに行った。返却の問い合わせがなかったか聞くためだ。なかった。代わりに、店の外に出たところで声をかけられた。「あの、それ……」振り向くと、見知らぬ男の人が立っていた。三十代半ばくらいだろうか。細身で、白いシャツの上に薄いグレーのカーディガンを羽織っている。雨上がりの湿った空気のせいか、前髪が少し額に張りついていた。顔色はよくなかったが、目だけは妙に静かで、こちらをまっ…
最初の分かれ道
仕方なく、店員に預けようとした。
- 「あ、それ、たぶんもう引き取りに来ないですよ」
- 「ああ、それ探してたんですよ」